伊藤東凌×MINOTAUR INST. 「変なお坊さんと思われてもいいから表現しようと思った」
伊藤東凌/ Toryo Ito 両足院副住職 田畑、食、庭園、建築、アート、サウナ、セルフケア、レジデンス、埋葬、循環などを再構築して“質”を取り戻す集落としての寺を考案中。 禅が育む美と叡知の探求プロジェクト「是是XEXE」を主宰する。2020年4月オンライングローバル坐禅コミュニティ「雲是」を立ち上げる。2020年7月禅瞑想アプリ「InTrip」をリリース。2021年1月新しいモビリティ「FUUUN/浮雲」を監修/リリース |
伊藤東凌×MINOTAUR INST.「親の代から受け取ったものを、継ぐことだけが伝統ではない」
伊藤東凌×MINOTAUR INST.「場所にとらわれない技術ができたことは、自分にとってもすごく大きなこと」
「自分が生きる姿勢の表明のようなものが服にはある」
松山(MINOTAUR INST.コラボレーションクリエイター) 東凌さんはもともとファッションがお好きですよね? ファッションのどんなところに惹かれたのか、ファッションをどうとらえているのかを、お聞きしたいです。
東凌 私は生まれも育ちも祇園の祇園っ子なんですよ。小、中学生の時から、足が速い人や面白い人がモテるというのはありましたけど、祇園ではファッションに強い人が強いみたいなものがあって、子供の頃からみんなファッションへの意識が高かったですね。特に高校や大学の時はバイト代の大半をファッションに注ぎ込むみたいな。あの服を買うためにバイトを頑張る、といった感じでした。それにファッションって、毎日「今日は何を着よう?」という選択をするじゃないですか。それってすごい選択だなと思っていて、例えば「いつも黒いTシャツを着る」という選択もあれば、「毎日違う服を着たい」という選択もある。
泉(MINOTAUR INST.デザイナー) そうですね。
東凌 京都の人には、『霞を食べてでも良いおべべを着る』、『着物を着るためなら粗食で我慢する』という文化があったようなんです。僕たちが子供の頃は周りのみんながおしゃれ意識を持っていたのに、2010年前後ぐらいの京都の人たちは「これを着ておけばいいか」という感じて、ファッションに対するやる気を失っているように思いました。雑誌が作っている世界観に対して、昔はみんながそれぞれのこだわりを持っていたイメージでしたけど、それがなくなってしまった寂しさを自分は感じたんです。ただ、それは周りだけじゃなくて、自分もだんだんと服に対して表現という気持ちが薄くなっていることに気が付いた時に、自分の中での岐路に立ちました。
東凌 お坊さんだから自己表現的に服を着ることは一切やめて、定められたものを制服的に着るということ。もう一つが、人生の中での毎朝の選択だからこそ自己表現ができないと、結局はいろいろな活動に対しても無意識レベルで大きく影響するんじゃないかという考えでした。それである時から、変なお坊さんと思われてもいい、とはいえ品格はもちろん崩さずにタイミングや場所をわきまえて表現をしようと思ったんです。幸いにも妻も背中を押してくれましたし、「この場所でその服は間違っている」ということも言ってくれます。やっぱり、ファッションは僕にとって毎日の選択であり自己表現の一歩目なので、これは一生手を抜きたくないと今も思っていますね。
松山 カッコ良いですね。ファッションを「自己表現」と仰っていましたが、表現している軸はありますか?
東凌 まずはこの歳になると、自分に自信を持てるかをすごく大事にするようになりました。昔だったら、イタリアでこれが売れているらしいとか、イタリア人ぽくなれるからイタリアの服を着るといったことが多かったです。でも、今はそういうことが一切なくなって、自分に相応しいかな?、自信を持てるかな? という感覚が強くなりましたね。言葉にするには難しいですが、そういうラインが最近見つかってきました。ただ、若い時からイタリア製の服を着たら垢抜けて見えるかもしれないけど、完璧には似合ってないので恥ずかしさも少しある、本当にこれで良いのかなという側面がありました。でも今は、360度自分だと思えるのが一番大きな軸ですね。その中で、やっぱり時代の感覚は取り入れたいと思っています。
泉 同感です。
東凌 昔から男の子、女の子といった感覚が結構苦手で、大学の時は中性的なファッションもしていたんですよ。そういったことも、より社会問題への関心が広がった時代であれば、またさらに一歩進めて良い意味での意外性を狙っていけるかなとはいつも考えています。自分が生きる姿勢の表明のようなものが服にはあると思っているので、男らしい服を着て筋肉を見せていくのなら「俺のここを見てほしい」という姿勢、柔らかい中性的な服を着るのなら、「そうやって生きるんだ」という自己表現というか、そういった表明に近いと思っています。
松山 今、仰ったことが表明だとしたら、選ぶということは自分を探す、自分と向き合うということになりますね。他のものでそれを見いだすことはなかなかないと思いますし、やっぱりファッションを通して自己表現をするということは意味がありますね。
東凌 自分の中では全部繋がってほしいですけどね。例えば「私は肉を食べません」と言っているのに、レザージャケットを着ていたら「噓でしょ」と思いますし。だからこそ、服はその人を表明してしまっていると思います。
松山 毎日の自分の在り方や見られ方、自分を自分でどう定義するかを見直す作業をファッションを通してされているのだなと、あらためて感じました。
東凌 ファッションに限らず、今は昔よりも食べる物や住むところも自由に選べるようになったし、それを支える経済的な仕組みや働き方も変わってきています。新しい自由な時代に向き合って生きていくということは、実は過去の自分からの問いや表明に対する答え合わせです。自分が言った事と行動がズレていないという事がつかめる事が、人生の生き甲斐のようなすごく大きな支えになってくれる視点だと思います。なので、今日はあらためてそこを確認し合うことができて、また多くの人にそういう視点を持ってもらえたら、より良いんじゃないかなと思いました。